◎『TORA TORA TORA TORA』祈念祝賀会
奇跡への軌跡 座談会 /全文 書き起こし【前編】
日時:2022/8/21 18:00~
会場:みどり荘ギャラリー 中目黒
寺田燿児(以降:y) それではこれから座談会をはじめたいと思います。
お待たせしました、私が作者の寺田燿児と申します。まず手始めに、漫画に登場するジャガナマズ将軍の銅像をお披露目したいと思います。どうぞご覧ください!(白い布を取る)
――拍手――
y ありがとうございます。では乾杯いっちゃいますか。
■(司会) 本日は皆さんお集まりいただきありがとうございました。寺田が体調不良ということで、イベントが最終日になってしまいましたが、お忙しい中、お集まりいただきありがとうございました。では、みなさんと乾杯させていただきたいと思います。燿児さん、乾杯の音頭をお願いします
y みなさん準備はいいですか? この度は、漫画『TORA TORA TORA TORA』発行祈念祝賀会、ありがとうございます。乾杯!
――乾杯――
y じゃあ、座談会を始めましょうか。
■ 本日の座談会のゲスト、折坂悠太さんに登壇いただきます。折坂さん、よろしくお願いします。
折坂悠太(以降:o)ありがとうございます。折坂と申します。
ー漫画を描く、音楽を作る。物語を描くという点では同じ
■ ではまず、今日の座談会のゲストになぜ折坂さんを呼んだのか教えてください。
y この漫画が原画の部分ができた時に、まず最初に見てもらったんですよね。
o 見ましたね、燿児くんちで。
y なぜ見てもらったかという話ですよね? 友達が折坂くんしかいないからというのもあるんですけど(笑)。あれは今年の初めくらいだっけ?
o いつですかね?(笑) 燿児くんは年上なので、今日は一応“さん”と呼びます。燿児さんは友達と言いましたが、友達であり、折坂悠太合奏というバンドで一緒にやっていました。今はあまりやっていないんですけど、その時にベースで参加してくれていて。元々は、燿児さんは漫画家というよりミュージシャンだったんですけど。それで対バンして、一緒にやるようになって。その中で友達になっていって。今は一緒に何かやるってことはないんですけど、作ったものをお互いに見せ合うとかはしていて。その時は、普通に燿児さんちに遊びに行ったんだよね?
y そうだね。
o その時にできたからと見せてくれたのが『TORA TORA TORA TORA』の最初だったんです。
■ もともと音楽活動をしていた人が、なぜ漫画を描き始めたというのが気になる人は多いと思うんですけど、なぜ描き始めたかについて教えてください。
o それは気になりますよね。
y うーん。音楽じゃない気がしたんですよね。
o 遠い目で言ってますね。違うんじゃないかと?
y 気づき始めて。
o 音楽じゃないんじゃないか、と気づき始めたきっかけってあったんですか?
y ライブがだんだんしんどくなってきて、結構ストレスを背負うでしょ? 人前に立つって。
o でもまあ、今も人前に立ってるでしょ?
y 音楽って、ライブを月に何回かやったりしてるでしょ? 頻繁に人前に出るでしょ? 心の準備がいるわけ。
o うん。
y で、何か奪われているような感覚があるわけ。
o うん、そうですね。
y 奪われるというか、提供するというか。
o それはいつ頃から感じ始めたんですか? そこから音楽は違うんじゃないかとなった時に、漫画を描くきっかけって何だったんでしょうか。
y 音楽をやっていた時も、結構物語を描くじゃないですか? 僕は歌詞を書く時に物語を作って、それを音楽にしていた感覚があって。だからやってることはあまり違わない意識なんですけど。まあ昔から絵は描けたことは描けたんで。
o ジャケットも描いてましたもんね。
y なんの気なしに描き始めて、そしたら一冊目ができてしまったという成り行きですね。
ー漫画でありながら、エッセイ的なニュアンスのある作品
■ 折坂さんは、最初に『TORA TORA TORA TORA』を読んだ時、どんな感想を持ちましたか。
o すごく面白かったです。最初に読んだ時、読み終わった時にちょうど燿児さんがトイレに行ってたんですけど、なんか私の中にいろいろ選択肢が出てきて。いちゃもんをつけてもっとやる気を出させたほうがいいのか、とか(笑)いろいろ考えたんです。燿児さんに対して、僕はなんていうんだろう、兄貴的な、悔しい、みたいな。お互いにそういうのがあるので。なんて言ってやろうか考えたんですけど。素直に面白かったので、いいねって「👍」しました。
y その日うちに行く前に、2人で歩きながら飲んでいて、漫画を見て欲しいんだけど、って言ったら「いいよ」って。もう描き上がったから、救いようのない指摘とかしないで欲しいってお願いして。基本的に褒めて欲しいって言ったら、「分かった」って言ってくれて。
o そんなこと言ったかな(笑)。
y それもあっての「いいね」なのかなと。気遣いなのかなと。
o いやいやいや。そんなこと言われていても、本当にそう思わないなら言わなかったので。感想としては、今までの燿児さんも貶めることはないんですが、『DARK CONTINENT/暗黒大陸』という漫画がこの前にあるんですが、それを読んだ時に感じたのは、すごい面白いんですけど、ちょっとまだ出してない部分があるというか。正直じゃない部分みたいなものを感じました。燿児さんは放っておくと濁すタイプなので、ありますよね?
■ すごい分かります。
o 濁す人なんですよ。それはどうしようもなく人間的なところですが。そこも魅力ではあるんですけど、『TORA TORA TORA TORA』を読んだ時に思ったのが、燿児さんよくこれ出したな、と。近況とかを話している中で知っているからというのもありますが、結構私的なことが盛り込まれている。要は、漫画でありながら、ちょっとエッセイ的なニュアンスのある作品だと思っていて。それは私が知っているから思う部分でもあるんですけど、そこに踏み込まないと伝わらないものがあると私は常日頃から思っていて。だから、燿児さんがやっとそういうふうに本腰を入れてきたというか。偉そうな言い方ですけど。
y 本当、偉そうだな(笑)。
o そういう感じがあって、それは嬉しかったですね。
y ある飲み会で、一作目の『DARK CONTINENT/暗黒大陸』の感想を踏まえて「燿児さん、向き合ったほうがいい」みたいな。「逃げてるよ」みたいなことを言われて。
o 忘れもしない、歌舞伎町の『上海小吃』(シャンハイハオツー)※1。
y 言われて途中で帰りました(笑)。
o その時の燿児さんを忘れないですね。「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだ!帰るわ!」って(笑)。で、ちょっと言いすぎたなと思って、ごめんねってメールをしたんです。
y「そんなことないよ、全部いいよ!」みたいなフォローが来て(笑)。
o バレるよね、そういうの。本当の気持ちだったんだよね、歌舞伎町で言ったことは(笑)。
y 自分でも分かってるから、引っ掛かりがあって。で、今回キャラクターを描いてみるというのに、つながったのかもしれないですね。
o うん。
※注1 新宿歌舞伎町の雑居ビルの谷間、裏路地の奥にある中華料理屋。サソリや何かの幼虫?など日本人にはちょっと珍しい物を提供しており、飲み物持ち込み自由という点も醍醐味。「一番の魅力は九龍城に迷い込んだかの様なムード」(寺田)
ー人間は極限に追い込まれたら本性が出る。大切なものを守れるか
■ 今回新しく挑戦したことが、キャラクターを描く、人物描写をするということでしたね。
y トライしてみた。ちゃんと描けていたかどうかは分からないですけど。
o でも、ここ最近の燿児さんが凝縮されているというかそんな感じがして。でもいろんな映画もそうだけど、私が好きな作品の多くは、その時のその人が出ちゃってるというか。そういうところで見る節があるので、私は好きでしたね。
■ ストーリーに、ご本人の私的な部分だったりが多く盛り込まれているのかなと思いますが。なぜこの話が生まれたのか、あらすじ・登場人物について、教えてください。
y 飼い猫が徴兵されていくというプロットは、結構前からあって。それがどう出てきたかなんですけど。これも反戦というか戦争をテーマにしたものなんですけど、最近よく太平洋戦争について考えるようになって。考えていた時に、人間は極限に追い込まれた時に本性が出るに違いないと思って。例えば、飢えが極限まで達した時に、友達を食べずにいられるかとか。食べ物を奪ったりするのかなとか。その流れで、例えばみんなが戦争に行く中で、自分の飼い猫を守れるだろうかとか。そういうことを考えたんです。あやしい、自分は守れないんじゃないかと。最初はそういうところですかね。
■ 座談会は展示の初日にする予定だったのですが※2、その時のゲストに来ていただくはずだった曽我潤心さんは、燿児さんと同じ広島のご出身で俳優をされており、ニューヨークで被爆者の体験を朗読する活動を行なっていたと聞きました。反戦だったり、戦争への意識というのはやはり広島で生まれ育ったということが関連しているのでしょうか。
y 広島は原爆教育が盛んで、毎年8月6日は登校日で、夏休みだけど学校に行くんです。戦争というより原爆のことを学ぶんですよね。原爆のことばっかりやるんですけど、原爆がなぜ落ちたかの経緯は子供に教えないんですよ。どんな悲惨なことがあったかということだけを教える。1回先生に聞いたけど、先生がいい答えを返してくれなかった。そういうところで戦争に対する意識は、あったかもしれないですね。
o 燿児さんの根底にあるもの、反戦というか、今の世界状況に対する怒りみたいなものは、音楽をまだやっていた時に出していたアルバム『ANGRY KID 2116』とかもそうですね。燿児さん自身が、ちょっとアングリーな精神というか、テーマは持っているんだろうなと私は思っていたんですけど。燿児さんの面白いところは、出し方が真逆なんですよね。人となりを見ると、何か濁したりとか、すーっとうまくやっていくというか、暑苦しいのが嫌いというか。で、それに対して持っている心情、テーマが相反するような部分があると思うんです。それをどういうふうに描くかは、燿児さんの面白さでもある。でもそれは、いろんな人にとっての共通のテーマだと思っていて。反戦とかテーマやメッセージはあるけれど、アウトプットをどこに落としていくか。個性とか生きている重心の折り合いをどこでつけるかという。みんな模索していると思うんですけど。燿児さんの作品は、いつもそれを試みている感じがするなと感じています。
y 暑苦しいのは嫌いだけど、スキンシップは好きですよ。
o そうなんですか(笑)。
※注2 8/12(金)に予定されていた祈念祝賀会「奇跡への軌跡」では、座談会に折坂悠太、曽我潤心を迎え、宮坂遼太郎の独演及び作中に登場する肉饅を模した西荻窪『日常軒』の鼠型肉饅が華を添える予定だったが、宮坂氏に続き寺田のコロナ陽性判定を受け会は延期。『日常軒』のみの出店となり、寺田不在のまま展示がスタートした。
ーどこかで戦争は起こっているけれど、街は普通に営まれていく
■ 戦争のシーンが1ページも描かれていない。そこはあえて出さないというのが、燿児さんの意識、感覚ということですか。描くには描いたんですよね。
y はい。この辺に(漫画の下書きを広げた展示台を指差しながら)置いてたんですけど。
o これはボツページなの?
y これはボツというより、むしろOKの下書きなんですよ。下書きを綿密に描いて、原画をその上に置いてトレースしたんです。でも描いたんですけど、ボツにしたんですよね。
o なぜ戦争のシーンをボツにしたんですか。
y そのシーンがすごくチープに見えて。藤原辰史の『戦争と農業』(集英社インターナショナル)という本があって、第一次大戦は大量殺戮ができるようになった戦争で。大砲の弾1発で、何人も兵士の手や足が飛び散っている描写が詳細に描かれていて。戦場って、僕らが想像するよりもっと悲惨な世界で。それを描けなかったというのもある。描けないなら、中途半端なものは入れないほうがいいと思って。戦場は描かないけど、どこかで戦争をしていながらも、どこかで事務仕事をしている人はいる。街は営まれていくし、そういうことが描きたかったんですよね。
o そうですね。でもそれって結構リアルな体感だったりするじゃないですか。私とか燿児さんは関東に住んでいて、今のところこの国に戦場はなくて。日々の生活が続いているけれど、着々とそういう方向にいっている感覚を描くには、どこにその人がいて、どういうものを見てきたかで180度変わるだろうなと思って。そういう今の自分の視点で描ける範囲で、それを描くというのは共感できますね。
■ 折坂さんは音楽で表現をされていますけど、日々そういったことに耳を傾け、凝縮して作るという感じですか。
o そうですね。自分のことになると分からないですよね。
y(考える----)
o まあ、いいんですけど。また話が戻るんですけど、戦争と自分、社会的なメッセージみたいなものと、自分のパーソナルなものとの間合いみたいなものをどう取るかって、最近私もよく考えることで。自分が歌にしたり言葉にしたりすることが、全部何かに目配せをしているような感覚があって。今ポップミュージックをやっていることを加味して言葉を紡ぐんだったら、ここでこの要素が入ってないとだめでしょ、みたいなふうに考え始めちゃう瞬間があるんです。本当に思っていることなんだけど、全部それで考え始めるとだんだんキツくなってくるというか。今は必要なんだろうけど、だんだん誰の言葉なのか分からなくなってくる瞬間があるんですね。ちょうどその局面にいて、それが今の私の悩みなんですけど。そういうメッセージと、自分のパーソナルなものとか、単純に自分が好きなものだったり、昔から好きな世界観みたいなことと、どう繋げていくかが課題だと思っていて。
でも燿児さんの作品を見ていると、どっちも素直に出ているなと思って。飄々としていることとメッセージを持っていることは、一見相反するように見える。飄々とした表現が冷笑気味になってしまうという社会的なロジックに対して、上手く絡み合っていくやり方があると気付かされる。燿児さんの漫画を見ていると、どっちもあるなあと思いました。何か1個の答えというか、作品として提示されたのかなと思います。
y(考える――。2人でうなづく)そうですね。
【後編】に続く