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『TORA TORA TORA TORA』

座談会 石垣島編/全文 書き起こし

日時:2022/10/24 18:00~

会場:Cafe&bar 山内ツル子

ゆいシネマ 竹内真弓さん(以降:T) そもそも、なぜ石垣で漫画展をすることになったんですか。

寺田燿児(以降:Y)東京展、大阪展ときて、順を追って南へ行きたかったところが福岡、沖縄がなかなか決まらなくて。そこで、3年前にこの街に来た時にYoshitoo!というミュージシャンと伝説の邂逅(*注1)があったことから、ずっと再来したいと思っていた石垣島に白羽の矢を立てた訳です。

T よしとさんにいじられたのが嬉しかったんだよね。

はい。あと竹富島のコンドイビーチで、その時一緒だった折坂(悠太)くんと彼のマネージャー中里さんと、前日に会ったばかりで来るか分からない(竹内)真弓さんを待ちながら、途方に暮れてたんですよ。そしたら突然茂みから現れて、一同感動したというエピソードがあって(笑)

ありましたね(笑)

右も左も分からない竹富島を案内してくれて。そこで親交を深めて、真弓さんが東京に来るたびによく一緒に飲んでたんですよね。で、今回まず最初に相談して。

 

そうですね。開催場所を『Cafe & bar 山内ツル子』にしたのは、どうしてですか。

 

他にも色々提案してくれたんですけど、やっぱりYoshitoo!のよしとさんのお店だったこと、ですかね。

ー石垣で展示をした理由。政治との距離の近さ、アクティビズムが生活に根付く土地

T 燿児さんと東京で飲んでいる時、「漫画を嫌々描いている」って言っていて。何がそん

なに嫌なんだろうって思って。漫画を「嫌だけど描かなきゃ」と思ってたんですか。 

 

描かなきゃと思ってましたね。

 

T あとがきにも書いてありましたけど承認欲求とありましたが、それだったらもうちょっと重くないテーマで描いてもいいのにと思いました。描かなきゃいけないと思った理由って、何ですか。

 

Y やっぱり承認欲求ですね。

 

T でもテーマが戦争ですよね。自分の中で、怒りとかわだかまりとかがあったからですか。だから、直球でそのテーマだったのかなあと。だから嫌なのかなと思ったんですが。

 

そうですね。今の政権与党がロシア問題や北朝鮮問題とかに便乗して、防衛費を高めようとしている。その中で戦前みたいな雰囲気をどこかで感じているところがあって。そこに危機感を覚えてるところがあったんです。この先戦争になるようなことがあると嫌だなぁと思って。みんなが平和を維持できるための一つの手がかりになればいいなという思いもあって、その意思をどうしても表明したかったわけです。

 

T 私は、描きたくて描いてる作家さんにしか会ったことなかったから、すごく珍しいなと思って。毎回会うたびに嫌だと言っていて。その難しさや複雑さがあって、ということなんですね。

 

……でもまあ、嫌って言ってるだけで、本当はそうでもないんです。

 

T 騙されてた!?(笑)

 

僕は逆のことを言うきらいがあるので(笑)。描いてる時は楽しかったりするんです。

 

T 燿児さんの漫画は、絵がすごい素敵だなと思うんですよね。特に横顔がすごい好きで、 ちょっと宮崎駿を感じさせるのと、あと私でもわかるオマージュがたくさんありますよ ね。『天空の城 ラピュタ』なり『風の谷のナウシカ』なり。それが分かると嬉しいんですよ。それは、隠してないんですよね。

はい。オマージュです。横顔がいいと言うのは初めて言われました。

 

私は、横顔の描写が素敵な漫画家さんが好きなんです。昔『りぼん』で連載していた谷川史子さんとか好きでしたね。

 

すみませんちょっと世代ギャップで分かんないです(笑) 。でも横顔は難しいんですよ。

 

T 話を戻しますけど、この漫画は戦争でSFで軍国主義っていう話なんですけど、私は沖縄に越してきて、戦争が全然終わってないなって感覚があるんですよ。ちょっと話がずれるかもしれないけど、みんなが大好きな石垣や沖縄のイメージと実際のイメージに隔たりがあると思っていて。実際は、基地があって、いまだに差別があって。そこが矛盾しているのかなと思って。だから、すごく身近に感じられて、それは韓国の映画『タクシー運転手』も全然昔の話に思えないんですよね。怖さを感じます。危機感を感じて描いたのかもしれませんが、より迫ってくる感じがありました。

石垣も、同じように問題を抱えていて。全国ではあまり放送されませんが、燿児さんや折坂さんもこの問題に寄り添ってくれ発信してくれる。それって怖いことだと思うんですけど、私たちは嬉しいなって思うんですよね。全国放送のニュースで放送されないような話も、こっちにいると毎日聞く話ですからね。

 

誰かが、“沖縄は民主主義のカナリア”だと言ってました。どういう意味かというと、炭鉱を掘る時に、酸素の有無を調べるためにカナリアを連れて行っていたという。つまり、 沖縄の民主主義が壊れる時はこの国の民主主義が壊れる前兆だ、ということですよね。

だから、さっきは石垣でやる理由を「よしとさんの店だから」と言いましたが、本当はそこなんです。過去に2度、辺野古に行って反対運動している方々から話を伺ったことがありますが、権力が民を分断させていることにおかしいと思ったし、さっき真弓さんが言った様に石垣でも基地問題との闘いは今も続いていると知って、実際今回ここに来てみて、 若者たちがカジュアルに政治について会話しているのを見て、アクティビズムが生活に根付いている様に見えて、それってとても魅力的だしやはりここで展示ができて良かったと思いました。沖縄返還50周年というのもありますしね。

ー勧善懲悪ではない世界を描く。人間にはいろいろな側面があることを伝えたい

T 民主主義という観点で言えば、今、大濱信泉(*注2)について勉強していて、彼は軍国主義の思 想のまま沖縄の祖国返還に貢献した(と思われる)人なんですけど、信泉さんが言っていたのが「米軍基地はアジアの安全のためにも国防のためにも必要である。固有領地の一部 を百万の国民とともに他国の統治にゆだねることは独立国家の威信のうえから大変屈辱的であるし、豊かな文化を持つ沖縄県民においてはなおさらである。このままでは内部から反発が起こり、反米運動に口実を与えることになる。対等の立場において協力することが 両国の国益にも合致する」ということなんです。 共産主義の瀬長亀次郎さんは、「こんなことは許されない! 基地なんていらない! 」と民衆をすごく煽って味方につけて活動していた。それでアメリカに不当に逮捕されたりしたんですけど、二人の目的は一緒だったんですよね。やり方として実用主義者みたいな人がうまくいくというか、皮肉的というか。やり方が難しいなと思って。そういうのを読むと、なるほどなと思います。

 

難しいですね。その話と関連するか分からないんですけど、左派と右派でも、あるところには共通点はあるんですよね。この漫画は、どっちとも言えないような勧善懲悪じゃない世界を描いています。人間はいろいろな側面があるよね、というのを描きたかったところもあります。

 

T 良かれと思ってやったこと、それが悪用される。戦争に使われてしまうということが起きることもありますからね。

 

『風立ちぬ』でもそうでしたよね。

 

T ジブリ作品じゃないんですが、しかも燿児さん見てないんらしいんですけど『メアリと魔女の花』が、まさにそれで。米林宏昌監督がジブリをやめて初めての作品で、観てみようと思ったら、めちゃくちゃシンクロするところがあったんです。原作がある話なんです が、動物がキメラ化されてしまう話だったりして、それもよかれと思って始まったことだったりもして。シンクロじゃん! と思って。

 

知らなかったですね。

 

テーマとして、何かそういう共通するところはあるんだなと思いました。 

 

見てみますね。

T 面白いか面白くないかで、言ったらあんまり面白くないんですけど(笑)私の主観では。高畑勲監督はどうですか。

 

うーん。『かぐや姫の物語』は表現としては良かったと思います。

 

特に影響を受けたりはしていないですか。

 

ないですね、ちょっと硬い感じがするかな。

 

『火垂るの墓』は反戦映画じゃないとどこかで書かれていたのを見ました。戦争は絶対無くならないから。ちょっと悲観的な観点から作られたと見ました。

 

あの映画で号泣したことがあります。ちょうど思春期の頃だったんで、家族で観てたんですけど、皆の前で泣くのは恥ずかしいのでトイレに行って。もう全体的につらかったですね。

 

確かに高畑さんは見るのに体力が要りますよね。この間、早稲田松竹だっけ? 名画を2 本立てでやってる映画館があって。そこで『平成たぬき合戦ぽんぽこ』と『おもひでぽろぽろ』をやっていて。『平成たぬき合戦ぽんぽこ』を久々に見たら、それこそ号泣してしまって。

 

見てみますね。もちろん一度観てるんですけど、今改めて観ると違いますよね。

たぬきが人間が開発した里山を追われて、諦めて踊りながら天国に行くみたいなシーン で号泣しましたね。申し訳ないと思いました。もう僕たちの生きる場所じゃないという、 諦めというか。。たぬきの中にも派閥があって、人間に寄り添うもの、戦うものみたいな。よかったら、もう一回ぜひ観てみてください。

ー続いている石垣での基地建設。真っ当な対話が受け入れられない難しさ

Y 一昨日、石垣の方に案内してもらって、バンナ公園の展望台に案内してもらったんです。建設途中の基地の様子を見させてもらいました。

 

T その場所は、カンムリワシ(絶滅危惧種、特別天然記念物)っていう鳥の生息地なんですけど、繊細な生態で巣を作る場所が限られているんですよ。農業用水の水源でもあっ て、昔から崇められてきた場所でもあるんです。そんな大事なところだということは分 かっているはずなのに、開発をするのか。開発することで、どういう影響が出るか、有識者の方々が環境アセスメント、調査しなさいと言っているのに、それを無視して、住民にもちゃんと説明しないまま強行されているというのが今の状態です。にもかかわらず、尖閣とか国防に直結するようなところには税金を使って調査に行く。まだ軍国主義を引きずっているのか、その時代に戻りたいのかという姿勢が見えるんですよ ね。

真っ向から、野党の市議の人が意見言ったりしても、「中国のスパイか」みたいに言われて。真っ当なこと言っているのにですよ。議論にならないんだそうです。ちゃんと意見を言う、通じる言葉で話しているから無理なことではないはずなのに。違う意見を言ったり、反対すると「敵だ! 」みたいになる。難しいと思います。

 

Y 対話に慣れてないですからね、日本人は。

 

T どうしたらいいんですかね。日本の人は反対意見を言うと、自分の人格も否定されたと思ってしまうんだそうです。あなたの性格じゃなくて、考え方がこういうことだから駄目ですよって言っているだけなのに。そう言った時、逆上していると聞けなくなっちゃうのかもしれないですね。私もそういうところがあるかもしれないですけど。

 

Y ニューヨークの友達が言ってたんですけど、友人同士で数時間大激論を繰り広げた後、 ナイストーク! ってハイファイブして終わるらしいですよ。

 

T いいですね。それは割と喧嘩腰でも?

 

Y どれぐらいのレベルなのかちょっと分からないですけど。

 

T 日々やってるからなのかな。日本は、政治と宗教の話は、難しいですね。

座談会後に行われた、松井文さんと浮さんのライブの様子

Y あ、(店の外で)よしとさんの犬がギャル達と戯れてる(笑)。

 

T 久々に黄色い声を聞いた(笑)

 

Y ぼく、この漫画をいわゆる反戦物にしたくないんですよ。

 

T 高畑勲と一緒ですね。『火垂るの墓』もそうだって言ってましたからね。

 

Y ファンタジー、SFとして捉えてほしくて。入り口に政治があると、ちょっと入りづらい。

 

T 確かに『AKIRA』みもありますもんね。『AKIRA』って、今思えばすごく踏み込んだ表現とかたくさんあるんだけど、その時はただ、新しい! と思って普通に面白く見ていましたね。

 

Y 『AKIRA』は理想ではありますね。ビジュアルはすごくかっこいい、だけど根底にはメッセージがある。そういうことをやりたいですね。幅広く届いてほしいです。

 

T 漫画を描くのが嫌じゃないなら、表現したい方法とかテーマが、これから生きていく上でどんどん出てくるでしょうし。

 

Y はい、頑張っていきたいと思います。

 

T 安心しました。これで終わると思ったけどね、良かったです。

 

 

ー次の構想は、スマホを失った世界。今の時代は意志の強さが求められている

 

Y 次の構想もあります。もういくつかのメディアでも言ったんですけど、スマートフォンが世界を滅ぼすと思っていて。例えば、かつては遠くにいる人のことを、どうしてるかな? と想像するしかなかったのが、SNSを開けば彼らが今日何をしたか瞬時に知ることができる。世界の秘境も、世界遺産も、街の中華屋も、珍しいものが日常的に目に入ってきて「ああこれもう見たことあるよ」スウィン、次、みたいな(笑) そうして想像力や主体的な知的欲求をどんどん失っていくんじゃないか。

 

T 一変したはずですね、世界は。確かにそうですね。

 

Y だから、1回スマホがなかったあの時代に戻るような話を作りたいと思っています。夕日が綺麗な日に「あ、これ撮ったらいいねもらえるかも、パシャ」みたいな、じゃなくて夕日を見て綺麗だなってその時思えたらそれでいいじゃないですか。と自分に言い聞かせてるわけですけど。

 

T すごい依存しちゃってますよね。SNSもそうだけど、意思の強さが必要で、コントロールが必要ですよね。お酒も同じように依存性が強いものだなと思うけど、テーマが繋がると言うか。スマホ認知症とか依存症とかみたいな、いいと思って作られたもののはずが、できることが多すぎて楽しすぎて。楽しいことが永遠に続いてしまうから、すぐに1 日が終わってしまうと言うか。

 

Y スティーブ・ジョブス、見てるかー! って言いたい。

 

T これを本当に望んでたのかなと思いますよね。望んでないですよね、きっと。例えば、スマホを介せず、解決する話を書くとかね。

 

Y そうですね。アダム・ドライバーが出演してる『ヤング・アダルト・ニューヨーク』という映画にレトロカルチャーを愛する若者たちが出てくるんですけど、そんな時代が来るんじゃないか、というか来たらいいなと思って。

 

T 楽しみにしています。それができたら、また石垣に遊びに来てくださるということで。

 

Y ま、描き上がらなくてもね、遊びに来ればいいですよね。

 

T 他に質問ありますか。

参加者の方(S) さっき、トラの話をしていたのは、このタイトルのことですか。

 

Y はい、『TORA TORA TORA TORA』ですね。これはトラ猫が登場するということと、 太平洋戦争の始まりになった真珠湾攻撃で、その時に発せられた暗号で、「突入せよ、雷撃機」という言葉の頭文字を取って「トラトラトラ」という説があるんですけど。それに トラ猫をくっつけて、4つにしているんです。

太平洋戦争ではもうボロボロに負けてたくさんの人が犬死にしたり、不当に死んだりして。その傷を抱えながら反省してきた。その歴史の延長線上に今の平和があると思ってるんですよ。だからその真珠湾攻撃の暗号っていうのは、結構トリガー的に大事なことだなと思って。作品のクライマックスでは、重要なキーワードが発せられるんですが。。。ネ タバレにもなるので、これ以上は読んでください。

 

今年は寅年なんですけど、それにあやかる意味もあって。ちなみに私は戌年なんですけどね。虎って、結構ビジュアルとしていいなと思って。世の中に出回っている、分かりやすいビジュアルだと思うんです。それもいいなと思いました。虎のビジュアルは後から出てきたものなんですけど、この表紙のビジュアルも気に入っています。

 

T デザイン性がいいですよね。大阪展の会期中、この街ではトラ柄のシャツが浮かないってtweetしてましたが。やっぱりトラのご婦人が多かったんですかね。

 

Y タイガースやん! って言われましたね。(笑) 東京では、この虎シャツはちょっとはばかられると言うか。結構派手なんですよね。

 

T 他に何かあれば。

 

S ちなみに『タンタンの冒険』は、好きですか? 似てるなと思って。

 

Y 好きです。参考文献を漫画の最後に載せてるんですけど、そこには入れてませんが参考にしました。『タンタンの冒険』の雰囲気もいいですよね。かわいい感じも好きです。

 

 T 『TORA TORA TORA TORA』みたいにテーマが重くても、デザイン性が高いというか、全部の「絵」が良くて飾れる感じはいいですね。

 

Y 例えば、BTSって結構社会派じゃないですか。人気トップのグループが社会派であるっていうのが、めちゃくちゃかっこいいと思うんです。そういうのにちょっと憧れがあって、だから髪にメッシュ入れたりしてみたんですけどね(笑)。見た目チャラいのに社会派。

 

T 私はトラに寄せてるのかなと思いましたけど(笑)。 

 

Y それは後付けです、BTSですね。

 

T 人は、見た目が9割っていいますもんね。見てほしいふうに装うんですって。あ、よしとさんが帰ってきた。

 

Y じゃあ、そんなところで、ありがとうございました!

 

T ありがとうございました!

竹内真弓 profile

コロナ禍で閉館した、当時石垣島唯一の映画館「ゆいロードシアター」の元スタッフ。映画上映を続けるべく「ゆいシネマを守る会」を立ち上げ、八重山各地で自主上映会をおこなっている。映画館再建を目標に活動中。

 

 

*注1

 2019年、折坂悠太沖縄・石垣ツアーに同行した際、石垣すけあくろでのライブ後の打ち上げにてセッション大会が始まった。寺田、折坂をリズム隊にして地元の歌い手たちが順番にギターボーカルを取るという時間の中で、初対面だったYoshitoo!が突然「寺田燿児の生い立ち」を即興で勝手気ままに歌い始めた。本人曰く「なにかとてもシンパシーを感 じてしまって」とのこと。“音楽の島”石垣の洗礼を受けたかの様な一夜であった。

 

*注2

大濱信泉 沖縄県石垣島生まれ。1910年に沖縄師範学校に入学するが、翌年いわゆる「ラブレター事件」にて退学処分を受ける。その後上京し、1918年に早稲田大学法学部を首席で卒業。三井物産に入社するも後に弁護士を開業。1922年に講師として早稲田大学に戻り、 助教授としてイギリス・フランス・ドイツに留学。1927年に帰国後、法学部教授となり 手形法・海商法・イギリス法を講義。1925年には東京八重山郷友会会長・1936年には 在京沖縄県人会副会長に就任。 1954年に島田孝一の後を受けて第7代早稲田大学総長に就任。その傍ら日本私立大学連 盟副会長として私立学校法の制定に尽力、私立学校運営への文部省の介入を巡って文部省 と対立した際にはGHQに直談判してこれを撤回させている。沖縄復帰運動にも関わり、 佐藤栄作首相の沖縄訪問の際には特別顧問となり、「核抜き本土並み」の返還を実現させる背景作りを担った。

同年全日本空手道連盟初代会長に就任。早稲田大学の学費値上げに端を発する学園紛争 で、1966年に理事全員と共に総長を辞職。その後沖縄国際海洋博覧会協会長・沖縄協会 長・日本野球機構コミッショナーを歴任した。

1976年2月13日、肺水腫のため、死去。84歳没。

1997年、石垣市に大濱の顕彰施設、大濱信泉記念館が開館した。

 

(書き起こし・編集/武田由紀子)

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